Haporikiの想い-創設までのstory-

Haporikiの想い-創設までのstory-

Haporikiについて少し深堀していきたいと思います。

私がHaporikiというものに込めた想いや、創設に至った経緯などをお伝えしていきたいと思います。

これを読んでいただければ、Haporikiが何を目指すのか、ご理解いただけるかなと思います。

ぜひ最後までご覧ください!

 

名前の由来とロゴに込めた想い

名前の由来

Haporiki』という名前の由来についてです。

 

私事ではありますが、私の夫が日本とニュージーランドのハーフです。

なので、少しですがニュージーランドにゆかりがあります。

そこでニュージーランドの先住民族マオリ族の言葉(マオリ語)を使わせてもらうことにしました。

 

マオリ語で『Hapori(=コミュニティ・社会)』という言葉と『Tamariki(=子どもたち)』という2つの言葉を掛け合わせた造語として『Haporiki』という名前をつけました。

  • 子どもたち社会で生き抜く力を身に着けてほしい。
  • 子どもたち同士の社会の中での活動を重要視する。

という2つの思いからこの名前をつけました。

 

ロゴに込めた想い

Logo

HaporikiのホームページやSNSなどさまざまな所で登場するこちらのロゴ。

このロゴにも想いがあります。

 

1つの惑星をイメージした大きな丸を社会全体として、その中にいびつな形の小惑星(≒凸凹のある子ども)が複数あり、それらがひしめきあって存在しているさまを描きました。

 

1つの社会の中には、発達の凸凹も含め、個性のあるいろんな人間がひしめき合って生きています。

1つの社会の大小は様々だと思います。学校の1学年であったり、1つのクラスであったり、数人の仲の良い友達のグループであったり…

そんな社会それぞれの中に、いろんな人間が存在しています。

その一人一人の個性が、ひしめきぶつかり合いを繰り返すことで、徐々にそれぞれの角が丸みを帯びていき、協調しながら生きていくことができるようになる。

それが、社会で生き抜いていくということだと思います。

そんなふうにみんなが個を活かしつつ、協調していける社会をつくりたいという想いをこのロゴに込めています。

 

Haporikiの目指す未来

上述の想いを根底に持ちながら、Haporikiは

子どもたちが園や学校などの社会というコミュニティの中で、健やかに生きていける力を身に着け、

さらに大人になって、もっと大きな社会で強く生きていける人材を育みます。

 

というビジョンを掲げています。

 

ただ、このビジョンを聞いただけでは話が漠然としすぎていると思います。

ここから先では、このビジョンについて深堀していきます。

 

このビジョンを掲げるに至るまでのstory

まずは、私がこのようなビジョンを掲げるに至るまでに何を考え、想ってきたのか、その経緯をお伝えしたいと思います。

 

私は以前、石川県の小児病院であり療育施設でもあったセンターで理学療法士として勤めていました。

そこは隣に特別支援学校も併設していました。

寝たきりレベルの身体障害のお子さんから、軽度な身体障害を有するお子さん、知的障害といわれるお子さん、発達障害といわれるお子さんなどさまざまなお子さんの理学療法を担当していました。

ここでの経験を通して感じてきたことが、このビジョンに大きく影響しています。

 

近年の子どもたちの様子

近年、『発達障害』と言われる子どもの数が爆発的に増えています。

少なくとも私自身が小学生だったころは、支援学級に通う子が1クラスに1人いるかいないか程度しかいませんでした。

それが今では、1クラスに何人もの子どもが発達障害と言われ、支援学級に在籍したり、通級を利用したりしているのです。

 

この現象は小学校に入ってから急に現れるのではなく、子どもの集団生活の始まりである保育園・幼稚園のころから現れています。

「園の中で集団行動がとれない」「先生の話を座って聞けない」など集団から逸脱してしまう子どもたちは、障害があるのではと疑われ、保護者が病院に子どもを連れて行くと発達障害と診断を受ける。

そしてその子どもには加配保育士(=障害の診断を受けた子どもを担当するために配置された保育士のこと。集団生活を送るうえで必要な個別の援助や配慮を行う。)がつくことが多いです。

そんな子どもたちは、就学する際に支援学級や通級を利用することが多いです。(もちろん普通級に進学する子もいます。)

 

また園で障害を疑われなくとも、〇か月健診・〇歳健診などの発達健診で発達障害を疑われることもあります。

その保護者は子どものことを思うが故に、就学先を普通級ではなく支援学級や支援学校を選ぶことも多いと思います。

 

こういった書き方をすると誤解を招くかもしれないのでお伝えしておきますが、支援学級や支援学校、通級に通うことが悪いことというわけではありません。

その選択がベストな子ももちろんたくさんいます。

また、発達障害といわれる子どもが良い・悪いという話でもありません。

ここでお伝えしたいのは、このような“大人の判断”によって『発達障害』といわれる子どもたちが急増しているということです。

 

『発達障害』といわれる子どものその後

では、支援学級や支援学校に通うことになった子どもたちはその後どのような人生を送ることになるでしょうか?

私が実際に目の当たりにしてきたことも含めてお伝えします。

 

支援学級や支援学校に通う子どもたちは、普通学級の子どもたちより学習進度が遅れることが多いです。

そうすると、仮に支援学級や支援学校から普通級に変更したいと思っても、それは相当難しいことです。

そのため中学・高校も、支援学級・支援学校のまま進学していく可能性が高くなります。

現に、特別支援学校には、軽度な発達障害の子どもやグレーゾーンといわれる子どもたちが多く溢れ返っています。

そういった子どもたちは、高校を卒業して就労する際には、障害者雇用の枠でしか就職することができない可能性が高くなるのです。

そうすると、“本当に”支援を必要とする重度な障害を持つ子どもたちを受け入れる障害者雇用のキャパシティが足りないということも起こるのです。

 

ただ何度もお伝えしますが、グレーゾーンと呼ばれる子や軽度な発達障害の子どもたちが支援学級や支援学校を選ぶことが悪いことだというわけではありません。

その選択がその子にとってベストなものであるのであれば良いと思っています。

本当に支援が必要な子どもが一定数いるのは確かであり、必要な子に必要な支援が適切に供給されるべきだとは思います。

 

この子どもたちの成長プロセスの問題点

このような子どもたちが成長していくプロセスの問題点はなんでしょうか?

 

一番大きな問題点だと思うのは、

このプロセスの中に、子ども自身の意志がほとんど反映されていないことだと思います。

 

幼少期に子どもの発達の偏りを指摘するのも大人。

加配保育士をつけようと決めるのも大人。

園から小学校への就学先を選ぶのもほとんどの場合は大人。

そこから先は子どもの意志と関わらず敷かれたレールに乗っていくことしかできない。

 

このように、子ども自身が“そうしたい”と決めて選択する場面はないに等しいのです。

大人が子どもの未来を決めていくことで、子どもの将来の可能性の幅を狭めてしまっていることは問題ではないでしょうか?

 

このようなプロセスを辿る子どもの中には、未就学の時点で適切な介入をしていれば、

小学校は普通学級に通い、そのまま普通学級で中学・高校と進学して、一般就労できた子も中にはいたかもしれません。

そうすると、その子にとっての人生の選択肢は増え、その子自身の意志で決断する場面も増えます。

親や他の大人が敷いたレールに沿って生きるのではなく、自分自身の力でどう生きたいのかを選択し決断できるようになるのではないでしょうか。

 

この問題を解決するには

ここまで述べてきたように、社会性が乏しく、集団行動がうまく取れず、人と協調しながら生きることが苦手ということがきっかけで、“障害”があると決めてしまう大人が多いのが現状です。

だから、そのきっかけを早めに摘み取り、人生の選択肢を増やすためには、幼少期から社会性や協調性を身に着けることが大切です。

社会性や協調性を身に着けていれば、『発達障害』と疑われる可能性も低くなります。

 

ただ、ここで社会性を身に着けられ、普通学級に通い、社会に出られたとしても、

主体的に行動する力(自分自身の力でどう生きたいのかを選択し決断しながら生きる力)がなければ、

せっかく人生の選択肢が増えても、自分の生き方を選び決断していくことができず、受動的につまらない人生を送ることになるかもしれません。

だから、主体的に行動する力を身に着けることも大切です。

 

Haporikiができること

このような現状を変化させ、Haporikiが目指す未来をつくっていくために、Haporikiにできることは、

『幼少期に個の主体性と、集団の中での協調性・社会性を身に着けてもらうこと』だと思っています。

(※ここでは、「協調性・社会性=すべてが自分の思い通りにならないことを受け入れる力、他者との関わりが適切にできる力、場のルールに合わせた行動ができる力など」と定義します。)

 

  • 自分の力で主体的に行動できる力
  • 人とうまく協調しながら生きる力

子どもたちがこの2つの力が身に着けられれば、本来は支援学級や支援学校に行く必要のない子どもが、普通学級に当たり前に通えるようになり、支援を本当に必要とする子どもが適切な支援を受けることができるようになります。

そうすることでそれぞれの子どもたちの将来の選択の幅を増やすことができ、人生の可能性を広げることができます。

 

ただ、ここまで主体的に行動することと社会性が大切だと述べてきましたが、

みんながみんな一様に、上手に人とコミュニケーションを取れて、どんなときも主体的に意欲的に行動できる必要もないとも思っています。

 

言っていることが矛盾していると思われるかもしれませんが、ここでお伝えしたいのは、

社会性や主体性を持ちながらも、人と喋るのが苦手な人もいれば、人と喋るのが好きな人もいて、

自分の気持ちを表現するのが苦手な人もいれば、気持ちを表現するのが得意な人もいて、

リーダーシップを発揮するのが得意な人もいれば、人を陰ながら支えるのが得意な人もいて…

そんなふうにいろんな人がいて当たり前です。

いろんな性格の人がいる社会の中で、社会のモラル・ルールとして守るべきことをきちんと守り(=社会性・協調性)、

その上で一人一人が“自分事”としてやりたいことをやりたいようにやれる、生きたい生き方をできる(=主体性)ことが大切なのです

 

このような考えや想いをめぐらせた結果、Haporikiは、

子どもたちが園や学校などの社会というコミュニティの中で、健やかに生きていける力を身に着け、

さらに大人になって、もっと大きな社会で強く生きていける人材を育みます。

というビジョンを掲げるに至ったのです。

このビジョンの達成に向けた第一歩として、Haporikiにできることをしていきたいのです。

 

Haporikiが目指す未来の具体的なイメージ

では次に、このビジョンに出てくる2つの言葉の意味について深堀していきます。

具体的にどんな未来を目指しているのか?

それをお伝えしたいと思います。

 

子どもたちが園や学校などの社会というコミュニティの中で、健やかに生きていける力を身に着け、

さらに大人になって、もっと大きな社会で強く生きていける人材を育みます。

 

健やかに生きていける力

これは、子どもたちに身に着けてほしい力です。

具体例を挙げると、

  • 園や学校という集団の中で、浮くことなく、除け者扱いされない
  • 逸脱した行動を取ることで先生やクラスメイトに迷惑をかけない
  • 自分がやりたいことや思いを必要に応じて主張ができる
  • 親が決めた習い事で日々の時間を消耗するのではなく、自分がやりたいと思った事(遊び、勉強、スポーツ、習い事など)に熱中できる

といったことができる力のことです。

 

強く生きていける人材

これは上述の力を身に着けた子どもたちが大人になったときにどうなっていくかというイメージです。

 

「何がしたいかわからない」「仕事したくない…」「ただ毎日が過ぎていく」という大人ではなく、

  • 仕事が好き
  • 自分のやりたいことをやりたいようにやれる
  • 何か自分で描いた目標に向かって強い想いを持って進める
  • その想いに向かっていけることなら一見大変なこともワクワクしてたまらない
  • 想いがあるから挫折しても立ち直る力がある

 

そんな大人になってほしいです。

そんな大人が増えると、世界はきっとワクワクした楽しいものになっていくと思っています。

 

ただそんな大人でも、悩むことも、苦しいこともあるとは思います。

でも、そんなときには仲間がいて、その仲間が助けになることもあります。

 

Haporikiが目指す未来-まとめ-

人々は周りに流されてただなんとなく日々を過ごすのではなく、

自分のやりたいことを見つけ、その見つけたことにチャレンジできる。

そして同じような志を持った人とコミュニケーションを取り、その人とのつながりを大切にすることで、その人生に彩をもたらす。

このように人生を謳歌できる大人が増えることで、社会は元気になる。

また、一人一人が自分事としてやりたいことにチャレンジし、失敗しながらもそれを達成していくことで社会全体が好転していく。

そんな大人たちを見て育つ子どもたちも自ずと同じように育ち、人生を謳歌できるようになる。

そんな世界を目指していきたいです。

 

最後に

ここまで長々とお伝えしてきましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

私Haporikiはこの想いを持ち、子どもたちと関わっていきたいと思っています。